家畜として生まれ、家畜として育ち、その日が来るまで食うものに困らず、天寿を全うできたのなら、それは幸せですか?
2024年1月22日(月)、何の前触れもなく、何の予兆もなく、それは起きた。
いや、そうではない。ずっと起こっていた。行われていた。
ただ、私が知らなかっただけだ。
生まれ落ちてから死ぬまでずっと外の広い世界を知らない家畜は幸せだろうか?
この平穏な毎日が、ただ喰われるその時のために与えられた仮初の平和だとは知らずに、最後の時まで生きられたのなら、果たしてそれは幸福だろうか?
なあ、私は知らなければ幸せだったのだろうか?